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はかりごと多きは勝ち、少なきは負ける。
戦の世に生きる男の有りようだ。
大河ドラマ「毛利元就」の尼子経久の言葉。
のちに、毛利元就がこの言葉を使うことが多くなる。
一説には、毛利元就がこの言葉を言ったとも言われている。
どちらにせよ、「謀多きは勝つ」どの部分をもって謀というのかは定かではないが、現代にも当てはまる言葉とも言える。
道徳・倫理上では謀多きことは良しとしないかもしれないが、現世は厳しいので、そのようなことをいっていると、生きていけない。
世の中に絶対的なものさしは存在しない。
それがこの世の原則とするならば、自分の人生のゴールとは、自分で思ったところがゴールである。
そのゴールにいくための能力が不足しているとき、人間は能力獲得か、それに変わるものを得るため努力しなければ到達することができない。
その能力を得る必要があるとき、往々にして長所だけではなく短所も味方につけなければならない。
毒をもって毒を制す、である。(ん?あってるかな?)
長所と短所とは紙一重。
わかりやすい長所とは、わかりにくい短所である。これが一般的に長所といわれる。
わかりやすい短所とは、わかりにくい長所である。これが一般的に短所と言われる。
わかりにくいということは、自分の人生・生活にあまり影響がないから、わかりにくいのである。わかりにくい長所をもしあなたが持っていたら・・・。あなたが、今することは、わかりにくい長所をわかりやすいものにすることだ。つまり、人生・生活に影響出るように工夫することである。
では、一般的に短所言われるものが、長所にもなりうるのか?
これは、物事にはつねに表と裏があり、それは表裏一体だということである。
これらをあまり突き止めすぎると、かなり常識や人間世界を構成しているものを破壊することになり、俗世間では良しとしないだろう。(表裏一体についてだよ)
しかしである、もし自分の決めたゴールに到達したいとするならば、ただある長所だけを利用するだけでは、毛頭到達できないだろう。(それだけ、現世は厳しいものと思える。)
長所は長所のまま伸ばし、短所は、わかりにくい長所という部分をわかりやすい長所に変えるようにする努力が必要である。
たとえば、「がんこなやつ。」といわれる人がいるとしよう。一見、短所に「頑固」と記載できてしまう。
しかし、無理やりポジティブに考えると、「律儀な人、常識を守る人。」と無理やり解釈することができる。
つまりわかりやすい短所であり、わかりにくい長所となるところである。
これを自分で、短所と認めてしまうと、わかりやすい長所にはなりえない。がんこだけでは律儀、常識人にはなりえないからである。
律儀=がんこ+常識+心(例えです)と不足分を補わなければならない。
その不足分が個人の努力分である。しかし、その努力を行ったとき、がんこという自分ならではのONRY ONEがあるため、他者と差をつけることができるのである。
その「がんこ」の度合いが他者より強い限り、その長所は他者に抜かれる可能性は低くなる。
マイナスは0にならないが、プラスになる。
前回の「-10は0にならないが、+10にはなる」、前回の事例とは異なるが、こういったことにもこの原則は出てくる。