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このようなことわざがある。
「無理が通れば道理がひっこむ」
筋が通らない道理(無理)でも、一度通ってしまえば、それが正しいことになってしまい、筋の通った道理は行われなくなるということ。
さらに
「理屈と軟膏はどこへでもつく」
その無理を通してしまえば、その無理を道理にするための理屈などなんとでもなるのである。そして、それにどうじなければならない人たちに、その屁理屈で道理にしてしまうのである。そして、どうじた人々は、以前は「無理をとおした」無理でも、いつの間にか道理になっている。
では、世の中で道理や無理と言えるものはあるのだろうか。
同様に、世の中で(本当の意味で、法律的とかはなしに)成否を答えれるものはあるものだろうか?
<自分でわかっている矛盾>
成否はあるのか?
ない。
ならば、この質問の答えすら、成否を答えることができないのかもしれないな!
成否はあるのか?
ある
ならば、答えは誰が発言したことが答えなのか?
もし仮にあるとするならば、権力者だろうな!
それは同時に答えのないことを意味する気がする。
<原則について>
男女であれ、親子であれ、人の原則には逆らうことができない。
人の原則は、動物の原則に逆らうことができない。
動物の原則は、生物の原則に逆らうことができない。
生物の原則は、物体の原則に逆らうことができない。
物体の原則は、この宇宙の原則に由来する。
これらに感情は働かない。ただ、非情にその原則により決定される。
たとえば、動物は食べなければ生きられない。
人は特別だからといって、動物の原則、食べなければ生きられないという原則を侵すことはできない。
宇宙の原則のひとつの、物理原則の重力の法則は、人間だから、かわいそうな人だから、裕福な人だからといって、その人に特別重くかかったり、いきなり無重力になったりすることはなく、決まっている重力の法則により作用する。そこに感情はない。
<原則と潜在的心理について>
動物の原則の中に、生き物は生きると原則がある。だから、食べたい、寝たいなどがある。
人の潜在的心理とは、実はこれらの原則によるものから由来すると考えると否定できなくなる。
しかし、潜在的心理なので、本人自身気づいていないこともあり、口頭で批判する人もいるが、行動がその潜在的心理と一致している場合が多い。
① 口頭(顕在的心理)で批判⇔潜在的心理を否定
② 行動は一致 ⇔潜在的心理を肯定
ひとつの物事で、一個人が①と②を一緒に行うとき、その人は自分をごまかしていることになる。それが、他者からみると正直でないと写るのである。
それが、信頼に関係する場合が多い。
<心理と信頼について>
顕在的心理≠潜在的心理になればなるほど、信頼は失われ、
顕在的心理≒潜在的心理になればなるほど、信頼は構築される。
つまり、本当の正直者が信頼されるということである。(建前、奇麗事なことをいう正直者ではない。)