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このようなことわざがある。
「無理が通れば道理がひっこむ」
筋が通らない道理(無理)でも、一度通ってしまえば、それが正しいことになってしまい、筋の通った道理は行われなくなるということ。
さらに
「理屈と軟膏はどこへでもつく」
その無理を通してしまえば、その無理を道理にするための理屈などなんとでもなるのである。そして、それにどうじなければならない人たちに、その屁理屈で道理にしてしまうのである。そして、どうじた人々は、以前は「無理をとおした」無理でも、いつの間にか道理になっている。
では、世の中で道理や無理と言えるものはあるのだろうか。
同様に、世の中で(本当の意味で、法律的とかはなしに)成否を答えれるものはあるものだろうか?
<自分でわかっている矛盾>
成否はあるのか?
ない。
ならば、この質問の答えすら、成否を答えることができないのかもしれないな!
成否はあるのか?
ある
ならば、答えは誰が発言したことが答えなのか?
もし仮にあるとするならば、権力者だろうな!
それは同時に答えのないことを意味する気がする。
はかりごと多きは勝ち、少なきは負ける。
戦の世に生きる男の有りようだ。
大河ドラマ「毛利元就」の尼子経久の言葉。
のちに、毛利元就がこの言葉を使うことが多くなる。
一説には、毛利元就がこの言葉を言ったとも言われている。
どちらにせよ、「謀多きは勝つ」どの部分をもって謀というのかは定かではないが、現代にも当てはまる言葉とも言える。
道徳・倫理上では謀多きことは良しとしないかもしれないが、現世は厳しいので、そのようなことをいっていると、生きていけない。
といったようなことが、生きていると感じることがある。
さて、みきったは、この件についてみきってみた。
人生を歩く際に、苦労の度合い(個人によって同じことでも違うが・・・)が個人によって違う。
ある二人が何かに向かって努力している。そのとき、周囲の環境(家族環境、友人環境、地域環境、経済環境など)により差がでることがある。
そして、自分の置かれている環境を数値にしてみる。これを環境値Aとする。
そして、それに対して努力をする。 これを努力値Bとする。
努力をしたぶんだけ、環境値に反映されるとする。
では、仮に良い環境と悪い環境を極端に抽象的に簡単に比べてみよう。
|
環境値A
|
努力値B
|
努力後環境値A
|
良環境
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-1
|
2
|
1
|
悪環境
|
-10
|
20
|
10
|
何が大変かというと、
さらに、表を細かくすると、
|
環境値A
|
努力値B
|
努力後環境値A
|
良環境
|
-1
|
1
|
-1
|
良環境
|
-1
|
2
|
1
|
悪環境
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-10
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5
|
-10
|
悪環境
|
-10
|
10
|
-10
|
悪環境
|
-10
|
20
|
10
|
である。つまり、環境値は、0にはならないが、絶対値にならなるのである。
-10の人は、0にはならないが、+10にはなることができる。
ただ、ただならぬ努力が必要となるのである。
-1の人は、2の努力ができなくとも、-1程度の環境ならがまんができるのである。
-10の人は、-10から早く脱しないと、その環境を維持するだけで、命の危険が生じる。
だから、なんとしても、+10までがんばるか、そうでなければあの世行きかの選択肢となる。
よって、貧乏生まれの、初代立ち上がりには立派な人が多いのであり、また、そうなれなかった人は、悲惨な人生となる。
その部分では不公平に思えるかもしれないが、期待値を考えると平等ともなる。
浅い次元だと不公平に思えることも、深い次元で考えるにつれて、不公平は公平になっていくのである。
世の中、この現世とは不思議なものである。
世の中に絶対的なものさしは存在しない。
それがこの世の原則とするならば、自分の人生のゴールとは、自分で思ったところがゴールである。
そのゴールにいくための能力が不足しているとき、人間は能力獲得か、それに変わるものを得るため努力しなければ到達することができない。
その能力を得る必要があるとき、往々にして長所だけではなく短所も味方につけなければならない。
毒をもって毒を制す、である。(ん?あってるかな?)
長所と短所とは紙一重。
わかりやすい長所とは、わかりにくい短所である。これが一般的に長所といわれる。
わかりやすい短所とは、わかりにくい長所である。これが一般的に短所と言われる。
わかりにくいということは、自分の人生・生活にあまり影響がないから、わかりにくいのである。わかりにくい長所をもしあなたが持っていたら・・・。あなたが、今することは、わかりにくい長所をわかりやすいものにすることだ。つまり、人生・生活に影響出るように工夫することである。
では、一般的に短所言われるものが、長所にもなりうるのか?
これは、物事にはつねに表と裏があり、それは表裏一体だということである。
これらをあまり突き止めすぎると、かなり常識や人間世界を構成しているものを破壊することになり、俗世間では良しとしないだろう。(表裏一体についてだよ)
しかしである、もし自分の決めたゴールに到達したいとするならば、ただある長所だけを利用するだけでは、毛頭到達できないだろう。(それだけ、現世は厳しいものと思える。)
長所は長所のまま伸ばし、短所は、わかりにくい長所という部分をわかりやすい長所に変えるようにする努力が必要である。
たとえば、「がんこなやつ。」といわれる人がいるとしよう。一見、短所に「頑固」と記載できてしまう。
しかし、無理やりポジティブに考えると、「律儀な人、常識を守る人。」と無理やり解釈することができる。
つまりわかりやすい短所であり、わかりにくい長所となるところである。
これを自分で、短所と認めてしまうと、わかりやすい長所にはなりえない。がんこだけでは律儀、常識人にはなりえないからである。
律儀=がんこ+常識+心(例えです)と不足分を補わなければならない。
その不足分が個人の努力分である。しかし、その努力を行ったとき、がんこという自分ならではのONRY ONEがあるため、他者と差をつけることができるのである。
その「がんこ」の度合いが他者より強い限り、その長所は他者に抜かれる可能性は低くなる。
マイナスは0にならないが、プラスになる。
前回の「-10は0にならないが、+10にはなる」、前回の事例とは異なるが、こういったことにもこの原則は出てくる。
<原則について>
男女であれ、親子であれ、人の原則には逆らうことができない。
人の原則は、動物の原則に逆らうことができない。
動物の原則は、生物の原則に逆らうことができない。
生物の原則は、物体の原則に逆らうことができない。
物体の原則は、この宇宙の原則に由来する。
これらに感情は働かない。ただ、非情にその原則により決定される。
たとえば、動物は食べなければ生きられない。
人は特別だからといって、動物の原則、食べなければ生きられないという原則を侵すことはできない。
宇宙の原則のひとつの、物理原則の重力の法則は、人間だから、かわいそうな人だから、裕福な人だからといって、その人に特別重くかかったり、いきなり無重力になったりすることはなく、決まっている重力の法則により作用する。そこに感情はない。
<原則と潜在的心理について>
動物の原則の中に、生き物は生きると原則がある。だから、食べたい、寝たいなどがある。
人の潜在的心理とは、実はこれらの原則によるものから由来すると考えると否定できなくなる。
しかし、潜在的心理なので、本人自身気づいていないこともあり、口頭で批判する人もいるが、行動がその潜在的心理と一致している場合が多い。
① 口頭(顕在的心理)で批判⇔潜在的心理を否定
② 行動は一致 ⇔潜在的心理を肯定
ひとつの物事で、一個人が①と②を一緒に行うとき、その人は自分をごまかしていることになる。それが、他者からみると正直でないと写るのである。
それが、信頼に関係する場合が多い。
<心理と信頼について>
顕在的心理≠潜在的心理になればなるほど、信頼は失われ、
顕在的心理≒潜在的心理になればなるほど、信頼は構築される。
つまり、本当の正直者が信頼されるということである。(建前、奇麗事なことをいう正直者ではない。)